財閥とは?知っているようで知らない金融用語について解説
更新日:2020/12/01財閥という言葉は知っていても、説明できるほど詳しい人は少ないかもしれません。なんとなくお金持ちというイメージがあるぐらいでしょうか。結論から言うと現在の日本に財閥はありませんが、財閥の事業を受け継ぐ企業は残っています。経営が安定しているという印象や、ブランド力からも就職先としては依然人気の状況。日本の財閥について詳しく見ていきましょう。

目次
財閥とは

財閥の定義には諸説ありますが、かなり平たく言えば「お金持ちの一族が経営する企業グループ」ということです。企業が他業種の企業に出資して複数の業種の経営を行うコンツェルンの一種ですが、それを一族で行っているのが財閥の特徴となります。
主に戦前の日本経済を動かした大手企業グループである財閥ですが、国家権力とも密接な関わりを持つようになり、戦争に多大な影響を与えたとして、第二次世界大戦後にGHQによって解体されてしまいました。しかし財閥が解体してからも企業は残り、現在も日本経済に影響を与えています。そして、企業グループを抱える財閥に関連する会社は今でも強い横のつながりによって、安定を求める就活生には人気をはくしています。
日本の四大財閥

日本では住友財閥・三井財閥・三菱財閥・安田財閥の4つを「四大財閥」といいます。このうち、特に規模の大きかった住友財閥・三井財閥・三菱財閥の3つを「三大財閥」ということもあります。
これらの財閥元にある会社は、安定性や待遇の良さから就職市場においてもとても人気です。それぞれの歴史、現在関わりの深い企業について紹介します。
住友財閥
世界の財閥の中でも特に古い歴史を持っている住友財閥。事業を始めたのは1590年に京都で銅吹所を設けた蘇我理右衛門で、代々銅銀商を営んできました。江戸時代には両替商を開業し、勢力を伸ばしていきます。重化学工業中心の経営で、商業部門を持たないところが特徴でした。現在では三井住友フィナンシャルグループをはじめ、三井系の企業と合併や業務提携を行っています。
三井財閥
伊勢商人の三井高俊が1673年に越後屋三井呉服店(現在の三越)を創業したのが三井財閥のはじまりです。「組織の三菱、人の三井」とも言われるように、組織よりも個人に重きをおいているのが特徴。多くの優秀な人材を輩出しています。現在も三井住友フィナンシャルグループや三井不動産などにその名を冠しているほか、トヨタ自動車、東芝、東レなども三井グループの系列です。
三菱財閥
三菱財閥は三井や住友と比べると歴史の浅い財閥です。土佐藩出身の岩崎弥太郎が明治期に創立した三菱商会がはじまりで、造船業・鉱業・鉄道・貿易など、広い分野に進出しました。財閥解体で三菱本社、三菱商事はいったん解散しますが、1954年には三菱商事が再合同。現在も三菱商事、三菱重工業、三菱UFJ銀行を筆頭に、多くのグループ企業を持っています。
安田財閥
1866年に安田善次郎が開業した両替専業の安田商店が事業の始まりです。安田善次郎は富山出身で、奉公人として江戸に出てきていました。金融業に力を入れており、日本で最大規模の金融資本を持っていたと言われています。財閥解体後、安田銀行は富士銀行となり、現在のみずほフィナンシャルグループに引き継がれることに。ほかにも明治安田生命保険や損害保険ジャパン日本興亜、東京海上ホールディングスがその流れを汲んでいます。
十五大財閥とは

以上の四大財閥以外に、GHQは11財閥に解体指令を下しました。それらを合わせた15財閥を日本の十五大財閥と呼びます。残りの11財閥について、簡単に紹介しましょう。
鮎川財閥
1920年に鮎川義介が創業した財閥。現在の日産自動車や日立製作所、SOMPOホールディングスなどが流れを受け継いでいます。
浅野財閥
1884年に浅野総一郎が創立した浅野セメントが起源です。その後浅野セメントは日本セメントと名前を変え、1998年に秩父小野田と合併して太平洋セメント株式会社となりました。
古河財閥
1875年に創立された古河本店がはじまり。現在は古河機械金属や古河電気工業をはじめ、富士通、横浜ゴム、富士電機などが古河グループの企業です。
大倉財閥
1857年に大倉喜八郎がはじめた乾物店がその起源。流れを受け継ぐ大倉商事は平成に入って経営不振に陥り、1998年に自己破産しました。現在の大成建設や帝国ホテル、日清紡グループが大倉財閥に関係があります。
中島財閥
1917年に中島知久平が群馬に設けた飛行機研究所がはじまり。財閥解体後は富士重工業(現在のSUBARU)が後身として自動車産業に進出しました。
野村財閥
野村徳七がはじめた小規模両替店がルーツ。1918年には大阪野村銀行、1925年には野村證券を設立し、財閥解体後も野村證券は同じ商号で今に至ります。
渋沢財閥
1873年に渋沢栄一が創設した第一銀行が起源。第一銀行はのちに第一勧業銀行となり、現在のみずほ銀行になっています。
神戸川崎財閥
1878年に男爵川崎正蔵が設立した川崎築地造船所がはじまり。現在も川崎重工グループに川崎の名を残しています。
理研コンツェルン
理研コンツェルンは現在の理研グループの前身。もともと理化学研究所の研究成果を企業化したもので、現在のリコーに受け継がれています。
日窒コンツェルン
1906年に野口遵が創立した曾木電気株式会社がはじまり。1908年には日本窒素肥料となり、現在の旭化成、積水化学工業、積水ハウスに引き継がれています。
日曹コンツェルン
1920年に中野友禮が設立した日本曹達が起源。現在は日本曹達、大平洋金属、興人が流れを汲んでいます。
就活生に人気・財閥系企業は安泰なのか?

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ここまでみてきたように、財閥は解体したと言えど、現在まで企業グループを抱えて発展してきました。ブランド名の強さや企業同士の横のつながりによって経営状態が安定しているというイメージが強くあると思います。そのためか、就活生の間では財閥系企業に受かることが一つのステータスや目標のようになっているのが現状。
しかし、2019年4月に「三井生命保険」が社名を「大樹生命保険」に変更。2015年時点ですでに経営難から日本生命に買収されており、三井資本は残るものの「三井」ブランドがなくなるような状況に。財閥解体は1945年に起こったことで、財閥自体の勢力は健在ですが、今後会社のブランドにこだわる必要はなくなっていく可能性も考慮した方が良いでしょう。
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